「ふと、」頭をかすめた職場のモヤモヤを、
あなたの知らない扉をそっと押し開けて、
すっきり解消させるブログです。
今夜の話題は…
夜行フェリー(ferry)へのご乗船、
ありがとうございます。
この便は、「仕事との両立」号です。
貨物を積み上げ次第、出港いたします。

試しに、厚生労働省のウェブサイトで
「両立」を検索してみると、
「仕事と育児の両立」
「仕事と介護の両立」
「治療と仕事の両立」
が、似た意味合いとして、
「職業生活と家庭生活の両立」
「仕事と生活の調和」
「ワーク・ライフ・バランス」
といった用語を見い出すことができます。
これらの「両立」には、
「仕事と暮らしの両立」という同じ根っこがみられ、
両立の片方である「暮らし」として、
ライフサイクルの節目となる、
育児、親の介護、病気の治療などが挙げられています。
両立した状態のイメージとしては、
「仕事」と「暮らし」が、それぞれ良好に営まれ、
かつ、双方の関係がバランスよく整っている様子
が思い浮かびます。
それでは、そうした状態は、
どのようにして成し遂げられるのか、
疑問に感じる瞬間があるのではないでしょうか。
そこで今夜は、フェリーの展望デッキで、
「ワーク・ライフ・バランス」について、
思いをめぐらしてみましょう。
それでは、出港いたします。

Table of Contents
2 義務教育のときから「両立」が始まっていた
実は、義務教育の段階から、
大方の生徒や保護者は、「両立」の言葉を耳にしています。
公立中学校の半ば頃になると、
「高校入試」の文字が頭をかすめ、
「勉強と部活動の両立」の問題が浮上します。
学校側の生徒管理上、
教師との関わりが平穏無事で、
成績が良く、部活動に打ち込む生徒像が、
とかく推奨されます。
他方、保護者側は、すみやかに下校させて
塾の特訓を受けさせたいところですが、
そうすると部活動が疎かになって、
内申書に響く懸念があります。
このジレンマの解決策は、意外と分かりやすく、
入試本番までの限られた時間枠の中、
「勉強と部活動への効率的な時間の配分」と、
「効果的な学習を通じた生産性(成績)の向上」
の2点です。
結果の差こそあれ、生徒自身には、
「 自らの判断や行動を通じて、未熟ながら、
事態をそれなりにコントロールする機会がある」
という特徴がみられます。
3 インターンシップは「両立」の片方
大学3年生の夏頃から、
インターンシップをめぐる活動が本格化し、
「学業と就活の両立」の場面に移ります。
「仕事と暮らし」になぞらえれば、
「就活と学業の両立」に入れ替えたほうが
良いかも知れません。
就活(就職活動)では、
就職を試みる多くの企業が、いわば
ステークホルダー(利害関係者)となります。
これらステークホルダーとの関係で、
就活生には、社会人としてのコミュニケーションが
求められるようになります。
ただ就活生には、ES(エントリーシート)や
SPIなどの適性検査、累次の採用面接に対して、
「 自らの判断と行動を通じ、ある程度の対策を講じる
余地が残されている」
という特徴がみられます。
4 自立すると「両立」のおまけがもらえる
就職後は、「仕事と恋愛の両立」として、
「暮らし」のステークホルダーに恋人が加わり、
組織上のロジカルなコミュニケーションとは異なる、
情緒的なコミュニケーションが必須となります。
相手との関係性は感情や感性に左右されるため、
「 自らの判断や行動を通じたコントロールは
不安定な状態に置かれる」
のが定番です。
社会的自立が慣れてきた頃、
「仕事と婚活の両立」の場面に移ります。
婚約の段階になると、ステークホルダーが、
結婚相手の親兄弟にまで一気に広がります。
それ以降、相手が変わらない限り、
ステークホルダーごとの多層的なコミュニケーション
を図り続けることになります。
子どもの誕生後には、
「仕事と育児の両立」の局面に移り、
乳幼児がステークホルダーに名を上げます。
両親は、乳幼児の感情の起伏や健康状態
に合わせるほかなく、
「 自らの判断や行動を通じたコントロールが
及ばない事態が異常発生する」
という事態になります。
しかも、子どもが成長すれば、
幼保園や小学校の担任との関わり、
「保護者同士の付き合いなど、
ステークホルダーが目白押し」
となります。
一方、「不妊治療と仕事の両立」の問題を
抱える夫婦にとっては、
身体・医療上の問題も重なり、
自らコントロールできる範囲が狭まざるを得ません。
5 中高年になっても「両立」は続く
中高年のステージでは、親の健康状態に応じて、
「仕事と介護の両立」が問題となり、
親の要介護状態を前提に、
身の回りのお世話や施設への入所といった
応戦一方の対応を迫られます。
この局面では、
「自らの判断や行動を通じて
コントロールできる範囲が相当限られます」
が、こればかりは致し方ありません。
年齢を重ねるにつれ、
同窓会での病気自慢が始まり、そのうち、
「治療と仕事の両立」の問題に直面します。
仮に、治療の原因が命にかかわる疾病であれば、
「 身体・医療上のケアが不可欠となって、
自らコントロールできる範囲は、大幅に狭る」
という事態になります。
ちょうどこの頃、社会的な責任が極限に達し、
一部の並外れた方は、諦観の境地に至ります。
6「暮らし」の難易度が上昇
ここまで、
両立の一方である「暮らし」の移り変わりを
スケッチしてきましたが、こうしてみると、
日々の処世(世渡り)において、
働く者の年齢が上がるごとに、
「 その判断や行動を通じてコントロールできる
余地が、不可逆的に狭苦しくなっている」
ことに気づきます。
その理由は、次の2つに集約されそうです。
1つめは、
日々の処世において、
ステークホルダーが加算され続け、その都度、
その場その時にふさわしいコミュニケーション
を通じて、それぞれの対人関係を慎重に維持
しなければならない
ことです。
例えば、夫婦間の接近系コミュニケーションや
義理の両親との気疲れ系コミュニケーション、
ママ友や保護者間の探索系コミュニケーションなどでは、
相手や他人のプライバシーが話の対象になり得ますので、
ひょっとした言い間違えで、
破局的な人間関係に陥りかねません。
そこまでいかないにせよ、
思い描いていたような結末を迎えないのが、
世の習いです。
2つめは、
加齢に伴い、身体・医療上の対応が不可欠となり、
自らの判断と行動により事態をやり直す余地が
相当狭まる
ことです。
こうしてみると、「暮らし」ぶりである、
日々の処世のハードルは相当なものです。
7「途切れない処世」の扉
両立の一方である「暮らし」の難易度が高い
ということは、裏を返すと、
① 練度の高いコミュニケーションの習得
② 最大の資産である健康の保持
をクリアーすれば、日々の処世が順調に
営まれる、ということです。
途切れない処世を着実に行うことにより、
仕事との両立もたやすくなるでしょう。
他方、両立のもう一方である「仕事」については、
次回に、大切にとっておきましょう。
ふと、仕事との「両立」に疑問を感じたら、
まだ開けていない「途切れない処世」の扉を、
やんわり押してみましょう。
きっと、あなたらしい未来が適(かな)い
始めるに違いありません。
そろそろ、下船の時間が近づいてきました。
当航は、最終の定期便となります。
次のご乗船の機会をお待ちしています。
それでは、また。
