「ふと、」頭をかすめた職場のモヤモヤを、
あなたの知らない扉をそっと押し開けて、
すっきり解消させるブログです。
今夜の話題は…
夜行フェリー(ferry)へのご乗船、
ありがとうございます。
この便は、「あくせく働く」号です。
貨物を積み上げ次第、出港いたします。

職場では、さまざまな「迷い」があります。
パソコンと複合機とのネットワーク環境、
裏口のセキュリティといったテクニカルな内容から、
職場を中心に据えたときのステークホルダー
(上司、部下、同僚、取引先など)
との対人関係(personal relation)まで、
職場での迷いは、尽きることがありません。
しかしながら、本ブログでは、
そうした際限のない「迷い」のうち、
心深く乱されるような、
気が詰まる面持ちになりそうなもの、すなわち、
「惑(まど)い」の部類を取り上げます。
退職理由の本音、そのほとんどが、
職場の人間関係のつまずきであるとすれば、
職場の惑いも、対人関係の不具合や不整合に
端を発します。
働くことにポジティブな方でも、
職場の人間関係となると、モヤモヤが
立ち込めるのではないでしょうか。
前口上は このあたりにして、
さてさて今夜の話題は…
そこで初航海の今夜は、
フェリーの展望デッキで、
「労働」について、
思いをめぐらしてみましょう。
それでは、出港いたします。

Table of Contents
1 「労働」の源流へ
首都圏では、日々、数え切れない多くの方々が、
通勤電車やバスを乗り継いで出勤し、
せわしなく働いています。
働く業界や職種、組織内の地位も、
それぞれ異なっているにもかかわらず、
一日の大半をあわただしく働き、
生気のない帰りの通勤電車では、
同じ通勤客として、
窓越しの見慣れた夜景をぼーっと眺めたり、
さっきまでの仕事を忘れ去るかのように、
スマートフォンのゲームに興じている姿を
目にします。
こうした日常を何千回と繰り返す
社会人にとって、
いや、社会人の初舞台を踏んでいない
学生諸氏にとっても、
これほどまでに、
あくせく働くことに疑いを感じる瞬間が
あったのではないでしょうか。
この「あくせく働く」に見合った漢字としては、
「労働」の熟語がしっくりきますので、
今般は初出として、「労働」について
思いをめぐらしてみたいと思います。
2 「労」と「働」の成り立ち
ここで、「労働」の熟語を、
「労」+「働」に分けて、
単体ごとに考えてみましょう。
「労」の生い立ち
まず、「労」の語源を辿ってみますと、
最初の3つの画数までは「炎」を表し、
全体として、「炎のように力を出し尽くす」
という意味になります。
もう少し映像化してみますと、
「松明(たいまつ)の炎に取り囲まれながら、
夜通し、力を出し尽くす様子」
現代風にしますと、
「甚だしく過酷な環境で、
昼夜を問わず使役されている様子」
がイメージできるでしょう。
「働」の生い立ち
一方、「働」の語源は、なんと国字です。
現代においても、中国語としての漢字「動」は、
「人間の活動や働き」を意味しますが、
日本語としての漢字では、
あえて「にんべん」を「動」に付け加えて、
国字としました。
実は、「にんべん」には、
立派な人物という意味合いがあり、例えば、
立派な人物(にんべん)がおっしゃったこと(言)は、
「信」ずるに値する、という案配です。
ですから、日本語としての漢字「働」を映像化してみますと、
「働」=「にんべん」+「動」として、
「徳のある人物(にんべん)が、
世のため人のために役立つ諸活動を行う様子」
がイメージできるでしょう。
いにしえの日本人は、遣隋使や遣唐使などを通じて、
膨大な漢字体系を学び、
何万字とある漢字の一つひとつの意味、
音読み(支那の発音)を修得したほか、
その語源まで調べ尽くしました。
その身命をなげうつ偉業のお蔭で、
中国語としての漢字一つひとつに適した訓読み
(和語の意味)を当てはめることを成し遂げました。
さらに、漢字の部首の持つ意義を組み合わせて、
国字までも創造したわけです。
3 「労」の再発見
このように、「労」と「働」の大本に遡ってみると、
日本人の「労働」への実感は、
「甚だしく過酷な環境で、昼夜を問わず、
使役されている様子」(労)
というよりも、
「徳のある人物(にんべん)が、
世のため人のために役立つ諸活動を行う様子」(働)
に親近感を抱くように、一見見受けられます。
ところが、この「労」にも、
私たちの先達(せんだち)の知恵が隠されていたことは、
さっぱり知られていません。
実は、「労」の訓読みには、
「労(ねぎら)う」 と 「労(いたわ)る」
の2つがあります。
講演会などでお尋ねしても、
そもそも読めない中高年の方が大半でした。
ひょっとして、見慣れない語句として
風化しているのかも知れません。
労(ねぎら)い
「ねぎらう」も「いたわる」も、
「苦役や頑張りを慰め、感謝する」
という共通の語意がありますが、
どちらかと言うと、
「労(ねぎら)う」は、次の例のように、
全身全霊を傾けて奮闘した者に対する感謝
や褒め称える気持ち
を表しています。
「営業課長!35度の炎天下の中、
中古車の売上げ№1を達成した遠藤君に対し、
何か一言、労いのお言葉を頂戴したいと存じます。」
「労」との関わりでは、
「甚だしく過酷な環境で、昼夜を問わず、使役されている」
者に対し、
「最後まで諦(あきら)めず、
ひたむきにやり遂げました、お見事です。」
という周囲の感謝や褒め称える気持ちを、
訓読みとして与えたことになります。
労(いたわ)り
また、「労(いたわ)る」は、
次の例のように、
傷病者や幼子に対する同情や大事に扱う気持ち
を表しています。
「年末には、東北の湯治場に出かけて、
弱り切った体を労ることにした。」
「労」との関わりでは、
「甚だしく過酷な環境で、昼夜を問わず、使役されている」
者に対し、
「怪我の具合はどうですか、もう少し休養を取りましょう。」
という周囲の同情や大事に扱う気持ちを、
訓読みとして与えたことになります。
日本人が生み出した「労」
私たちは、知らず知らずのうちに、
漢字「労」の中に、
苦役や酷使を受ける者(元来の意味)の周囲
にいる人々の心情、すなわち、
感謝や褒め称える気持ち(ねぎらう)や
同情や大事に扱う気持ち(いたわる)を、
訓読みとして受け継いできました。
こうした主体が入れ替わった心情は、
本来の中国語としての漢字には見当たらないようで、
私たちの先達(せんだち)の知恵が、
訓読みという仕組みの中に、
ひっそりと秘められてきたのです。
4 「労働」の扉
ここまで「労働」の源流を遡ってみると、
その字義(説文)と訓読みの在り方から、
2つ意義を見出すことができました。
一つは、「働」として、
「徳のある人物(にんべん)が、
世のため人のために役立つ諸活動を行う様子」
を表していることです。
もう一つは、「労」として、
「『甚だしく過酷な環境で、昼夜を問わず、使役されている』
者に対する、
周囲の感謝や褒め称える気持ち、同情や大事に扱う気持ち」
を表していることです。
ふと、あくせく働くことに疑問を感じたら、
まだ開けていない「労働」の扉を、
やんわり押してみましょう。
きっと、あなたらしい未来が適(かな)い
始めるに違いありません。
そろそろ、下船の時間が近づいてきました。
当航は、最終の定期便となります。
次のご乗船の機会をお待ちしています。
それではまた、近いうちに
お会いしましょう。
