職場のモヤモヤをすっきりさせるブログです

【第1回】ふと、あくせく働くことに疑問を感じたら

4 min

 職場のモヤモヤを「すっきり」させるブログ、
まだ開けていない、職場の扉」を始めました。

 この先、MC(master of ceremony)を務めます、
テラボ(terrabo)です。

ふと、」頭をかすめた職場のモヤモヤを、
あなたの知らない扉をそっと押し開けて、
すっきり解消させるブログです。 
 今夜の話題は…

 夜行フェリー(ferry)へのご乗船、
ありがとうございます。

 この便は、「あくせく働く」号です。
 貨物を積み上げ次第、出港いたします。

 職場では、さまざまな「迷い」があります。
 パソコンと複合機とのネットワーク環境、
裏口のセキュリティといったテクニカルな内容から、
職場を中心に据えたときのステークホルダー
(上司、部下、同僚、取引先など)
との対人関係(personal relation)まで、
職場での迷いは、尽きることがありません。


 しかしながら、本ブログでは、
そうした際限のない「迷い」のうち、
心深く乱されるような、
気が詰まる面持ちになりそうなもの、すなわち、
「惑(まど)い」の部類を取り上げます。

 退職理由の本音、そのほとんどが、
職場の人間関係のつまずきであるとすれば、
職場の惑いも、対人関係の不具合や不整合に

端を発します。

 働くことにポジティブな方でも、
職場の人間関係となると、モヤモヤが

立ち込めるのではないでしょうか。

 前口上は このあたりにして、
さてさて今夜の話題は… 

 そこで初航海の今夜は、
フェリーの展望デッキで、
労働」について、
思いをめぐらしてみましょう。
 それでは、出港いたします。

1 「労働」の源流へ

 首都圏では、日々、数え切れない多くの方々が、
通勤電車やバスを乗り継いで出勤し、
せわしなく働いています。

 働く業界や職種、組織内の地位も、
それぞれ異なっているにもかかわらず、
一日の大半をあわただしく働き、
生気のない帰りの通勤電車では、

同じ通勤客として、
窓越しの見慣れた夜景をぼーっと眺めたり、
さっきまでの仕事を忘れ去るかのように、
スマートフォンのゲームに興じている姿を

目にします。

 こうした日常を何千回と繰り返す
社会人にとって、
いや、社会人の初舞台を踏んでいない

学生諸氏にとっても、
これほどまでに、
あくせく働くことに疑いを感じる瞬間が

あったのではないでしょうか。

 この「あくせく働く」に見合った漢字としては、
「労働」の熟語がしっくりきますので、
今般は初出として、「労働」について

思いをめぐらしてみたいと思います。

2 「労」と「働」の成り立ち

 ここで、「労働」の熟語を、
「労」+「働」に分けて、
単体ごとに考えてみましょう。

「労」の生い立ち 

 まず、「労」の語源を辿ってみますと、
最初の3つの画数までは「炎」を表し、
全体として、「炎のように力を出し尽くす」
という意味になります。

 もう少し映像化してみますと、

松明(たいまつ)の炎に取り囲まれながら、
 夜通し、力を出し尽くす様子

現代風にしますと、
甚だしく過酷な環境で、
 昼夜を問わず使役されている様子

がイメージできるでしょう。

「働」の生い立ち 

 一方、「働」の語源は、なんと国字です。

 現代においても、中国語としての漢字「動」は、
「人間の活動や働き」を意味しますが、
日本語としての漢字では、
あえて「にんべん」を「動」に付け加えて、
国字としました。

 実は、「にんべん」には、
立派な人物という意味合いがあり、例えば、
立派な人物(にんべん)がおっしゃったこと(言)は、
「信」ずるに値する、という案配です。

 ですから、日本語としての漢字「働」を映像化してみますと、
「働」=「にんべん」+「動」として、

徳のある人物(にんべん)が、
 世のため人のために役立つ諸活動を行う様子

がイメージできるでしょう。

 いにしえの日本人は、遣隋使や遣唐使などを通じて、
膨大な漢字体系を学び、
何万字とある漢字の一つひとつの意味、
音読み(支那の発音)を修得したほか、
その語源まで調べ尽くしました。


 その身命をなげうつ偉業のお蔭で、
中国語としての漢字一つひとつに適した訓読み
(和語の意味)を当てはめることを成し遂げました。
 さらに、漢字の部首の持つ意義を組み合わせて、
国字までも創造したわけです。

3 「労」の再発見 

 このように、「労」と「働」の大本に遡ってみると、
日本人の「労働」への実感は、
甚だしく過酷な環境で、昼夜を問わず、
 使役されている様子
」(

というよりも、
徳のある人物(にんべん)が、
 世のため人のために役立つ諸活動を行う様子
」(
に親近感を抱くように、一見見受けられます。

 ところが、この「労」にも、
私たちの先達(せんだち)の知恵が隠されていたことは、
さっぱり知られていません。

 実は、「労」の訓読みには、
労(ねぎら)う」 と 「労(いたわ)る
の2つがあります。
 講演会などでお尋ねしても、
そもそも読めない中高年の方が大半でした。
 ひょっとして、見慣れない語句として
風化しているのかも知れません。
 

労(ねぎら)い 

 「ねぎらう」も「いたわる」も、
苦役や頑張りを慰め、感謝する
という共通の語意がありますが、
どちらかと言うと、
労(ねぎら)う」は、次の例のように、

全身全霊を傾けて奮闘した者に対する感謝
や褒め称える気持ち

を表しています。

「営業課長!35度の炎天下の中、
 中古車の売上げ№1を達成した遠藤君に対し、
 何か一言、労いのお言葉を頂戴したいと存じます。」

」との関わりでは、
甚だしく過酷な環境で、昼夜を問わず、使役されている

者に対し、
「最後まで諦(あきら)めず、

 ひたむきにやり遂げました、お見事です。」
という周囲の感謝褒め称える気持ちを、
訓読みとして与えたことになります。

労(いたわ)り

 また、「労(いたわ)る」は、
次の例のように、

傷病者や幼子に対する同情や大事に扱う気持ち

を表しています。

「年末には、東北の湯治場に出かけて、
 弱り切った体を労ることにした。」

」との関わりでは、
甚だしく過酷な環境で、昼夜を問わず、使役されている

者に対し、
「怪我の具合はどうですか、もう少し休養を取りましょう。」
という周囲の同情や大事に扱う気持ちを、
訓読みとして与えたことになります。

日本人が生み出した「労」

 私たちは、知らず知らずのうちに、
漢字「労」の中に、
苦役や酷使を受ける者(元来の意味)の周囲

にいる人々の心情、すなわち、
感謝や褒め称える気持ち(ねぎらう)や
同情や大事に扱う気持ち(いたわる)を、
訓読みとして受け継いできました。

 こうした主体が入れ替わった心情は、
本来の中国語としての漢字には見当たらないようで、
私たちの先達(せんだち)の知恵が、
訓読みという仕組みの中に、
ひっそりと秘められてきたのです。

4 「労働」の扉

 ここまで「労働」の源流を遡ってみると、
その字義(説文)と訓読みの在り方から、
2つ意義を見出すことができました。


 一つは、「」として、

徳のある人物(にんべん)が、
 世のため人のために役立つ諸活動を行う様子

を表していることです。

 もう一つは、「」として、

「『甚だしく過酷な環境で、昼夜を問わず、使役されている
 者に対する、
 周囲の感謝や褒め称える気持ち同情や大事に扱う気持ち

を表していることです。

 ふと、あくせく働くことに疑問を感じたら、
まだ開けていない「労働」の扉を、
やんわり押してみましょう。
 きっと、あなたらしい未来が適(かな)い
始めるに違いありません。

 そろそろ、下船の時間が近づいてきました。
 当航は、最終の定期便となります。
 次のご乗船の機会をお待ちしています。
 それではまた、近いうちに
お会いしましょう。

 

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